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●農家 市瀬 鎮夫(長野県飯田市)

都会の子どもからもらった感激が農家と地域を大きくする

 昨今「体験学習旅行」が各地で行なわれている。飯田市では、平成九年から、「食・農・田舎の文化」を中心にしたほんもの体験学習旅行の取組みが、市役所の観光課・農政課のもとにはじまり(現在は、南信州観光公社が中心)、その矛先が私の住む千代(芋平)地区に向けられた。
 千代地区のかつての主な産業は、夏は養蚕、冬は共有山での炭焼きであった。しかし、ご多分にもれず、千代地区でも、時代の変貌とともに過疎化が進んできた。そこで、自治協議会が主体となり、地域の資源を活かして都市との交流を図ろうと、「千代グリーン・ツーリズム推進協議会」が、平成八年に発足し、地域の振興を模索していた。また、この地区(当時は千代村)では昭和三十年代に、夏休みに都会の大学生を寄宿させ勉強してもらおうと、「千代高原学生村」も立ち上げており、交流を求める気風があったのかもしれない。

お部屋に鍵がかかりますか!!
 飯田市からの要請もあり、さぁ度胸を決めて体験学習旅行の受入れをはじめようと、有志数人が集まり、次のような話合いをした。「わしゃあの家屋は古いで心配だよう」「古いのと乱ごくとは違んな」「そいだって、もう来るんだに、早く泊まる農家を決めて連絡してやらにゃあ向こうだって困るらな」。こんなやりとりをしながら、準備ができ、子どもたちを待つだけになったころ、ある農家の電話が鳴った。
 「今度お世話になる○○ですが、お部屋に鍵がかかりますか?」。電話を受けたおばちゃんは、あ然としながらも、「家じぁ留守をするときでも、玄関に鍵はかけんに」と答えたという。今考えれば、問合わせをされた○○さん、さぞ戸惑ったことだろう。
 体験学習旅行を受け入れて一年目の千葉県のY中学一校から、二年目の二校、三年目の一三校と受け入れる学校数が増えるにしたがって、子どもたちの残していった名文句や、感動の言葉があちこちから聞こえるようになった。

おじさんは仙人や
 班分けされた子どもたちと、受入れ農家との対面式が終わると、その後のことはそれぞれの農家に一任する。農家には、それぞれ独自の農業体験の型がある。たとえばSさんは、真っ先に縄ないを教えるという。その技は、いつかはどこかで役立つだろうし、縄をなえるようになったときの子どもたちの満足げな顔が、教えた本人にも最高の喜びなのだそうだ。
 また、Tさんは、夕食に竹筒ごはんを子どもたちと一緒に炊いて食べる。山へ竹切りに行き、そこで竹の話をし、切り方を教え、汗を流してかついできた竹でご飯を炊く。この一連の仕事は、子どもたちには想像もつかないことらしく、Tさんは子どもたちから「おじさんは仙人や」と言われている。
 果樹専業農家のKさんのところでは、ナシやリンゴの摘果体験が主になる。摘果作業中に、Kさんと子どもたちは、こんなやりとりをする。
 「おじさんはこの仕事、何年やっているの?」「三五年ほどになるな」「え! 三五年もよくやってるね」。それもそのはず、子どもたちは、この摘果作業にすぐ飽きて、三〇分と続かないのだ。「それを考えれば、三五年はびっくりする長さだよね」と、Kさんはにが笑いする。摘果作業後、Kさんは子どもたちに、残した親指大の果実に、各自の名前を落書きさせる。この果実が無病で育つのを願ってのことだ。
 落書きした名前は果実の肥大とともに大きくなり、果実がソフトボールほどの大きさになったころ、子どもたちに贈る。まさか自分の名入りの果実が、こんなに大きくなって届くとは思っていなかった子どもたち。「机に飾っています」「家族みんなで頂いているときの写真です。おじさんありがとう」。こういったお礼の手紙が届くのが、Kさんの楽しみだそうだ。
 このほかにも、各農家に子どもたちが書き残していった名文句がある。
 「山羊ははじめて見たし、鳴き声を近くで聞いて、本当に『めェー』って鳴くんやと、びっくりしました」(京都・Y君)
 「蛍が手のなかで光っているのに、チョー感激」(神奈川・Mさん)
 「夜空がほんとに、プラネタリュームみたい」(大阪・Hさん)―などなど。

ツッパリ三人組が残した言葉
 また、ある農家に泊った女生徒は、シイタケの煮物の臭いが嫌いで食べられないという。そこで、その農家の奥さん、「臭いが嫌いといって末世まで食べずにいると、やがて生まれてくるあなたのお子さんも食べず嫌いになるんだに」と言った。女生徒は涙を流して食べて帰ったそうだ。きついことを言ってしまったなぁと思いつつ、その農家もそんなことを忘れかけていた折、その女生徒のお母さんから、「ありがとうございました。娘がシイタケを食べられるようになりました」とのお礼の手紙が届いた。「家族の一員として受け入れた生徒だけど、やっぱり気がねがあって食べてくれたんだなぁ。でも、喜しかったよう、嫌いがなくなってくれて」とその奥さんは話してくれた。
 さらに五平餅つくり体験に来た学校にも、こんな話がある。
 ご飯をつぶし、それを竹で型取りをし串に刺して、炭火で五平餅を焼いているとき、インストラクターの一人のおばちゃんが、手をポケットに入れたまま体験の輪に入らないツッパリ三人組がいるのに気が付いた。
 「こっちが空いてるでおいな、一緒に焼きまいか」と声をかけると、三人はしぶしぶおばちゃんの横にきた。ポケットから片手が出、やがて両手が出ると、三人は熱がりながら五平餅を焼き上げ、皆と一緒に餅を食べ、後片付けもすませた。おばちゃんたちにお礼のあいさつをするとき、引率の先生方が、その三人組がいないのに気が付いた。「また、あの連中か。早く部屋から出てこい!!」と先生の大声がかかる。皆に遅れてバスに乗る三人組の一人が、「後で黒板見てな、おばちゃん」と言い残して帰っていった。――何のことだろうと黒板を見ると、「体験は楽しかったです。今日のことは忘れません。みなさんお元気で」と、例の三人組の言葉が書いてあった。
 「やらせてみて良かったじゃねぇ。わしゃあこんな喜しいのははじめてだよぉ」と、おばちゃんたちはついホロリとしたという。

俺たちの仕事もまんざらじゃあねぇなあ!!
 こうした子どもたちからもらった感激が、受入れ農家や、インストラクターの私たちを大きくしてくれる。来てくれた学校を全国の地図に落としながら、「俺ぁ行かずして、いろんな所の話が聞けるで、旅行しとるようなもんだ」と話し合っている。
 子どもたちの思い出も遠のきかけた二月、千葉県の○中学校から、「三月○日は、私たちの卒業式です。遠いと思いますがどうぞお越しください」という手紙が届いた。そこで出席した卒業式で、代表の女子生徒が、次のように私たち農家に語った。「はじめて農家に泊まると聞いて、とてもいやだった。でも今はもう一度あの日にもどりたい。飯田は私たちの第二の故郷です」の言葉を聞いたとき、出席した農家の間にすすり泣きが広がった。
 私たちの千代地区に、よこね田んぼと呼ばれる三haほどの棚田がある。そのうち一haほどが荒れていた。「ここで稲つくり体験してもらおう」と、地区の皆でその荒田を開田し青田が復活すると、地元の保育園、小学校、中学校が協力してくれるようになり、さらに「よこね田んぼを守り隊」もできて、これが農水省の《棚田百選》に選ばれ、千代地区の財産の一つとなった。「そんなに皆んなできれぇにするんで、おらほもしにゃみっともねぇで」と、荒田の隣りのおばちゃんも頑張る。「俺ぁえれぇだと思ってやってきたが、教材やインストラクターになれるんだで、まんざらでもねぇんだなぁ」と言いながら、次に来てくれる子どもたちを楽しみにしているわが地区の仲間たちだ。

<関連情報>

  • 南信州観光公社
  • 南信州あぐり大学院
  • 農業体験学習ネット 受入情報(南信州あぐり大学院)

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